四万十川の鉄道 よどせん|JR予土線
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1914年(大正3年)10月18日   宇和島鉄道により宇和島-近永間が開業。当時はまだ蒸気機関。
1923年(大正12年)12月12日   近永-吉野(現在の吉野生)間が開業。
1931年(昭和6年)3月26日   ガソリン動力の認可を受け、気動車(ガソリンカー)も走りはじめる。
1933年(昭和8年)8月1日
  宇和島鉄道が国有化され宇和島線となる。
1939年(昭和14年)   後の予土線となる“窪江線”が鉄道省より『日本国有鉄道建設路線』として認められる。
1941年(昭和16年)1月   高知県側関係者が運動のために上京の折、窪江線の完成時期が三ヵ年繰り延べて昭和22年度となった。理由は戦争に至る時局緊迫のため。その後まもなく太平洋戦争に突入したため、工事中断。
1941年(昭和16年)7月2日   全線を1067mm軌間に改軌。宇和島-務田間の旧線を廃止し、北宇和島-務田間の新線が開業。北宇和島駅が起点となる。旧線上にあった高串駅と光満駅は廃止。
1951年(昭和26年)11月   土讃線が窪川まで延伸。窪川駅開業。
1953年(昭和28年)3月26日   吉野生-江川崎間が開業。(写真は開業当時の江川崎駅)
開業当時の江川崎駅
開業当時の江川崎駅
1957年(昭和32年)7月   窪江線(窪川-江川崎)の建設が認可。
1961年(昭和36年)   窪江線の建設工事がスタートしたが、大正町(現在の四万十町大正)にダム建設計画が具体化され、鉄道予定線の一部かさ上げか迂回の必要性が懸念された。
1963年(昭和38年)4月6日   窪江線の工事再開の起工式が、当時の国鉄総裁らが出席して江川崎駅で行われる。
1973年(昭和48年)11月   宇和島・窪江線両線がボルトで結ばれ、四国内の鉄道が初めて循環型につながる。
1974年(昭和49年)3月1日   江川崎-若井間が開業し全通。予土線と改称。
※旧十和村(現四万十町)での記録によると・・・『予土線の開通により、運賃はこれまでのバスより1/4も安くなり、2日がかりだった県都高知への日帰りも可能となった。1980年頃、2輌連結の列車が運行。(当時も今と同じ)上下7本/日で、乗客はいたって少ない。昭和53年度の営業成績によると、100円の収入をあげるのに646円の支出が必要で、約8億円の年間赤字であったとのこと。当時の十和村役場には、“通勤・出張旅行は最大限に汽車を利用するように”と村長名での張り紙がされていた。』
1980年(昭和55年)11月
  国鉄経営再建促進特別措置法の成立により、廃線の危機に陥る。これに対して、沿線市町村、住民は予土線の存続を訴えて様々な運動を起こす。
1981年(昭和56年)3月3日   国鉄赤字ローカル線の廃止基準を定める政令が決定され、予土線は『代替輸送道路が未整備』という例外規定に該当し、廃止対象路線から除外され、昭和60年まで延命が決定。
1984年(昭和59年)   元祖トロッコ列車(トラ45000)運行開始。
1987年(昭和62年)4月1日   国鉄の分割民営化により、運営が四国旅客鉄道株式会社(JR四国)に承継。
1989年(平成元年)11月   『SLしまんと号(宇和島-土佐大正間)』運転。
1997年(平成9年)7月   予土線の愛称が公募により『しまんとグリーンライン』となる。
2001年(平成13年)3月   トロッコ列車『清流しまんと号』をリニューアル。