萌ゆる緑に包まれた予土線の旅。今回ご一緒してくださるのは、
日本国内のみならず海外の鉄道も取材しているフォトジャーナリストの櫻井寛先生だ。
日本経済新聞の「一度は乗りたいローカル線」のランキングでは2位だった予土線だが、
櫻井先生いわく「僕としてはダントツ1位だね」と言い切る。
先生の取材にちょっこし同行させてもらった。
朝5:45分宇和島駅で出発のワンショット
これから新幹線にのります。
6:00発の鉄道ホビートレイン。
地元では「アサイチの新幹線」とも呼ぶ。
旅の始まりは、午前6時、始発の「新幹線」に乗る。JR宇和島駅で櫻井先生と待ち合わせだ。「ぶんちゃん、おはよう!」と目をキラキラさせて元気よくご挨拶。改札をくぐると、予土線のアイドル「鉄道ホビートレイン」が停車している。いわゆる四国の“なんちゃって新幹線”はいつ見てもかわいらしい。
漫画「新・駅弁ひとり旅」
四国編表紙は「伊予灘ものがたり」
櫻井先生とは、これまでにも四国管内で鉄道取材の際にお会いしていて、先生が監修を手がけている漫画「新・駅弁ひとり旅」でも鉄道カメラマンの坪内政美さんともども、私も登場させていただいている。漫画には、現場で先生が出会った実在の人々がモデルになって登場していて、鉄道旅に欠かせないオイシイ地元の食を人々の出会いを盛り込みながら楽しく愉快に描かれている。
予土線もしっかり描かれてますよ。
宇和島発車。鉄道ホビートレインの特等席で出発進行!
「鉄道ホビートレイン」に乗り込むと、先生が目指したのはあの席。本物の0系新幹線電車の座席だ。ほんの4席のみだが、進行方向に向かって座れるという特別席だ。もともと車両についているのはベンチシートなので、この座席はよく買い物に利用しているお年寄りが座っていることを目にしたりして、「おお、これは“おばあちゃんが新幹線で買い物にでかけるの図”ではないか」なんて心の中で思ったりしている。
「この日は、買い物のおばあちゃんもいなかったので、(早朝6時台のためかな?)櫻井先生と隣同士で仲良く座った。定刻通りに出発。「プワーン!!」運転士が鳴らす警笛も、0系新幹線の本物の音だ。すると、櫻井先生は、真っ正面に見える山を指さしてこう言った。「ぶんちゃん、あれミャンマーのストゥーパ(仏塔)みたいだね」と。なるほど、宇和島駅を出る列車の真っ正面から見える山は、標高755メートルの泉が森である。その山の頂上には電波塔がそびえ立っているのだ。そう見ると、なんだか神々しいやまにすら見えてきた。にこにこと車窓を楽しむ櫻井先生は、まるで鉄道少年そのものだ。
「急勾配の坂で、がくんと速度を落とし、キイキイ音を立てながら走って行く。坂を登り切ると、三間地区に入る。新幹線といえど、予土線のこの坂を上るときは自転車でも追い抜けるのではないかというほど、低速なのである。沿線の木々を車両でこすりながら、緑の中を走る。しばらくすると、車窓には青々とした田んぼが広がってきた。
運転席横も特等席前の景色も楽しめる。
意外と難読駅名「ふたな」駅。
ある駅の手前で、櫻井先生がふふっと笑う。「見て、次の停車駅の看板【二名】って書いてあるでしょ。僕、つい【2名(にめい)】って読んじゃった」。なるほど、私たちはそれを【ふたな】という地名を知っているものの、なじみのない乗客にはそう読むこともできる。知らない土地に行って、これなんて読むのかな?と思うことは多い。難読駅も日本各地にあるものの、身近な予土線の駅名もまたいろいろな読み方ができる。この日は、ほかにも乗客が降り、【2名】以上だったものの、通常は2名ほどしか乗っていないという厳しい事実も予土線にはある。
櫻井先生は、全国のローカル線を実際に訪れる中で、「鉄道は公共の福祉施設である」と考えているという。路線があり、駅があるところに集落あり。そこで暮らす人々にとっては、貴重な交通手段として鉄道はかかせない。当たり前のことだが、人は年をとる。自分で動けなくなっても、鉄道にひょいっと乗ればちょっと足を伸ばせる。この移動がどんなに日常を華やかにしてくれているか、ちょっと想像してみるとそう思う。もし私が年を重ね、この土地で暮らし続けていくならば、予土線がここにあるだけで出かけてみようという気持ちになる。どこへも行けずに塞ぎ込むこともなく、車窓を眺めるだけでも移動する楽しみで満たされそうだ。車の免許を持たない学生のとき、鉄道こそ私の暮らしの扉を開いてくれた存在だったことを思い出した。
ふと車窓を眺めると、紺色の日産車が並走している。カメラマンの坪内政美さんだ。櫻井先生とも旧知の仲。窓を開けて手を振る。このコラムのために、撮影をしているのだ。いつものように、愛車の屋根に上がり、バズーカ砲のような望遠レンズを構えているようすを櫻井先生もすかさずカメラに収めていた。列車は松野町に入り、桃の園地が広がる五郎丸地区の踏切あたりでは、坪内さんは先回りして私たちをカメラに捉えていた。
吉野生駅では、列車行き違いのため、数分停車する。櫻井先生は、わずかな停車時間に写真を撮ろうと、跨線橋を軽やかに駆け上がっていく。なんちゃって新幹線は、気動車だ。電線がないため、景色と駅と車両の大パノラマは予土線の醍醐味の一つ。手短かにシャッターを切って、車両に乗り込む。あじさいが出迎えてくれる小さな県境の真土駅を過ぎて、いよいよ目的地、江川崎駅に到着だ。
窓の外にはどつぼさんが運転する
セドリックが追走!撮影・櫻井寛
列車を降りて、ここから坪内さんと合流し、お食事タイム。最寄りの「道の駅よって西土佐」で朝ご飯と昼ご飯を食べることにした。わずか1時間ほどで到着したため、時間はまだ午前7時過ぎ。それでも道の駅には、地元の人たちが出荷のため忙しそうに出入りしている。
道の駅よって西土佐の駅長と取材の打合せを見学~
道の駅には「にしべん」と称した弁当がいくつも並んでいる。午前8時には勢揃いである。坪内さん一番のおすすめである「四万十牛の焼肉丼」は外せないし、初夏ならではの旬のカツオが巻かれている「土佐巻」もあるではないか。西土佐のうまいものを朝からこんなに味わえるなんて。イチゴやゆずジュース、しまんと紅茶も忘れずに。これらの食と鉄道を結びつけるのが櫻井先生の今回の旅の目的だ。予土線名物トロッコ列車で、食も景色も味わってほしいという。
朝食にしては豪華なメニュー
四万十川で獲れたテナガエビもあった。
トロッコが来るまでの間
おいしいものいただきます。
二階の巨大ジオラマは予土線がモデル。先生もその出来にご満悦!
トロッコに乗り込み~予土線がトロッコ列車の元祖。
その弁当を持ち込み、私たちは10時42分江川崎駅発の「しまんトロッコ」に乗車。トロッコ座席は満席。清流、四万十川を蛇行するように何度も鉄橋を渡る。道路よりも高い場所に敷かれている線路からの眺望たるや。風を全身に受けて、小さなトンネルを抜けるたびに緑が目に飛び込んでくる。その緑もまた木々の新緑であったり、川面の濃い緑だったりとさまざまだ。乗客も右に左に景色を楽しんでいる。ここに食が加わるのだから、鉄道旅ならではの満足感といったらない。土佐巻を一つ、四万十牛丼を一口。幸せだな~。櫻井先生も「おいしいねえ」とご満悦の様子だった。
土佐大正駅で、トロッコ車両から通常の車両へ移動してそのまま窪川駅まで乗車した。櫻井先生と坪内カメラマンとはここでお別れ。2人は引き続き、取材と撮影があるそうだ。私は折り返しの列車に乗り、さっきのトロッコ列車とほぼ同じ乗客と顔を合わせた。その車両には、トロッコと同じ車掌さんが乗っていて、なんだか居心地がいい。家族連れなど予土線でひとときを楽しむ人たちが皆笑顔でいる。
四万十川をトロッコはゆっくり渡る。絶景~
江川崎駅からは、おへんろさんも乗ってきた。四国88ヶ所霊場を鉄道で巡っているのだろう。そのとき車内に飛び込んできた虫を、車掌が見つけ、そっと逃がしていた。その様子をロングシートで見ていた私たち乗客はなんだか少しだけ優しい気持ちになり、心地よく揺れる列車に安心感を覚えた。こうしてほんの少しの鉄道旅だが、櫻井先生の「鉄道は公共の福祉施設」というのは言い得て妙なのである。生活の一部というよりも、日常も非日常も含めて、鉄道が担う存在は地域にとって大きい。ここで暮らしている私にとっても、今回の予土線の旅はまたひとつ大切な思い出の旅路となったのである。
窪川駅に到着。もの凄くアッチッチなので、
アイスコーヒーを買った。
帰りもトロッコに乗車。行きとはまた風景が違って見える。
櫻井 寛
1954(昭和29)年、長野県生れ。昭和鉄道高校在学中から鉄道写真に魅せられ、写真家を目指して日本大学芸術学部写真学科に進む。卒業後、出版社写真部勤務を経て、1990(平成2)年にフォトジャーナリストとして独立。1994(平成7)年に『鉄道世界夢紀行』で第19回交通図書賞を受賞。著書に『オリエント急行の旅』『豪華寝台特急の旅』『日本列島鉄道の旅』『鉄道世界遺産』ほか多数。コミック『駅弁ひとり旅』(作画・はやせ淳)などの監修も務める。日本写真家協会、日本旅行作家協会会員、東京交通短期大学客員教授。
「道の駅よって西土佐」
営業時間 7:30~18:00(3~11月は無休、12~2月は火曜定休)
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2階のフリースペースでは持ち込み自由。1階は江川崎の食の宝庫。
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品ぞろえ豊富。なんと店内に軽トラックが鎮座