2022.03.18 UP

近永駅に人情ときっぷあり

“予土線に近永駅あり”。

そう言わしめるのは、全国の鉄道ファンだ。中でもきっぷに強いこだわりを持つ、「きっぷ鉄」にとっては、聖地であると云える。なぜなら、近永駅には券売機とはひと味違うきっぷいわゆる『常備券』や『補充券』など「軟券」が販売されているのだ。きっぷの対面販売が劇的に減少する世知辛い昨今において、近永駅にはきっぷを通じた日常のドラマがあった。

きっぷ鉄から見れば、夢の光景!近永駅にはこれだけの種類が揃う 撮影・坪内政美

ある日の夕方、学校からちょっぴり早く帰ってきたおいっこが「予土線に乗っておでかけしようや」と誘ってきた。ちょくちょく近距離乗車をしてプチ鉄道旅を遊んでいる私たちは、ダイヤを確認して近永駅から伊予宮野下駅まで往復することにした。近永駅は、簡易委託駅といってJR四国からきっぷの販売を委託されており、窓口に一人の男性がいる。

「すみません、きっぷを買いたいんですが」と声をかけると、「どちらまで?」と優しい返事。行き先を告げると、「往復?これでいい?」と薄い緑色の一枚の紙を取り出してくれた。あまり見慣れないきっぷで、私のスマホほどの大きさだ。『近永▶伊予宮野下』、『大人1人、小児1人』。きっぷは1枚だが、2人分の情報が書いてある。ははん、これが『常備券』とか『補充券』というやつだな。なるほど薄い紙だ。行き先などの情報を聞き取って丁寧に書き込んでいる。『往復』の部分に丸。なんだかレトロなかんじでいいなと思わずにやりとしてしまったのだろう、窓口の男性は「おたくもきっぷマニアなの?」と言う。マニアというほどでもないが、きっぷはとっておく方だ。男性は「この駅はね、こんなきっぷを販売しよるからね、全国からきっぷマニアがようけ来るのよ」とにこにこしていた。聞けば、全国どこのきっぷでも購入できるということで、全国各地からきっぷを求めてやってくる人が絶えず、たった1日で2、3万円を売り上げることもあるとか。

近永駅窓口を行っている竹本精作さん。人との交流も大切にしている。 撮影・坪内政美

男性は、元国鉄マンの竹本精作さん(71歳)。話せば、私の同級生のお父さんだった。なつかしさも相まって話は弾む。私も竹本さんの娘さんも高校時代、予土線でこの駅から宇和島に通っていたのだ。竹本さんは、こうして駅を訪れてきっぷを買いに来た人たちとおしゃべりをするのが楽しいという。「どっから来たの?とかね、ちょっと話すでしょ。『福岡から来たんです』いうてね。そしたら、『うちも親戚が福岡におるんよー』ゆうて、意外とその土地とご縁があったりしてね、会話を楽しむのよ。中には、何回もきっぷを買いにわざわざここまで来る子もおったりしてね。『おじさん、久しぶりです。これおみやげです』なんて、すっかり仲良くなってしもうたり。きっぷ一枚やけどね、なんかご縁ができたり、楽しいのよ」と笑顔で話してくれた。

丁寧に手書きできっぷを製作していく。こうしてきっぷに命を吹き込む。 撮影・坪内政美
名切符をつくるのに欠かせない駅の数々…駅スタンプも健在だ。 撮影・坪内政美

近永駅では、全国のJRであればどこの区間でも作って販売してくれるという。もちろん近永駅で販売しているため、近永駅発着のきっぷだとありがたいというが、元国鉄マンだけあって全国の路線が頭に入っているようだ。竹本さんは現役時代、18回も転勤したそうだが、車掌をしていた頃に江川崎から予土線がつながり、駅長として就任した八幡浜駅には竹本さんが植えたみかんの木が今も実をつけている。長く鉄道と関わってきた竹本さんは、定年後もこうしてきっぷを販売しながら鉄道を利用する人々を温かく迎えている。 すると、そこへ片言の日本語を話す外国人の女性が窓口にやってきた。「伊予宮野下まで3人。きっぷください」。竹本さんは「きょうは休み?いい買い物できた?」と優しく声をかけた。

するとその女性は「はい、できました。ありがとうございます」と答える。伊予宮野下駅の近くで働いているインドネシア人の女性たちだという。休みになると、予土線を利用して近永駅に買い物にやってくるのだという。竹本さんとはすっかり顔なじみのようだ。手にはいっぱいの食料品。どんな料理を作るのかな。無人駅の多い予土線の中にあって、ちょっとしたやりとりに心がほっこりした。きっと見知らぬ外国の土地で働く彼女たちにとっては、ここできっぷを買うことの安心感のようなものがあるのかもしれない。彼女たちは竹本さんに笑顔できっぷを手にして列車に乗り込んだ。私たちも彼女たちと同じように竹本さんにあいさつをして列車に乗った。

おいっこは、ぐんぐん流れていく車窓を眺めている。普段は車で走る場所も、列車からの眺めはまたひと味違う。田んぼやヤギも列車の窓越しに見るとちょっとだけ非日常で特別な感じがする。伊予宮野下駅で下車して、駅に隣接するAコープで晩ご飯のおかずとジュースを買って再び乗車。私たちが折り返しに乗った車両は、ほかに乗客がおらず、完全に貸し切り状態。広いロングシートの真ん中にぽつんと2人座ってみたりして「2人だけやとめっちゃ広いね。なんかぜいたくやね」と笑った。おいっこと2人、片道わずか17分の小さな旅を楽しんだ。近永駅で買ったきっぷは柔らかい一枚の紙だ。くしゃくしゃになってしまう質感だが、旅を思い出すには充分な情報が書かれている。列車を降りるとき思わず「きっぷ持って帰ってもいいですか」と運転士さんに告げると「どうぞ」と言ってくれた。そのきっぷを財布の中にそっとしまい、小さな旅の記録としてとっておくことにした。

申告すれば、小さな旅の記録としてに持ち帰ることもできる。撮影・坪内政美

近永駅

住所:愛媛県北宇和郡鬼北町大字近永955番地2
電話/FAX:0895-45-0517
窓口営業時間7:45~16:50 ※昼前後は銀行への入金のため不在。
竹本さんのほかに2人委託されており、3人交代制で窓口対応をしている。駅舎は立て替えが予定されているが、竹本さんらは引き続き窓口できっぷを販売する予定。

近永駅で買えるきっぷ
○常備券
すでに印刷されているきっぷで、「軟券」とも呼ばれる薄い紙のきっぷ。近永駅では、170円や380円の区間と決まった金額があらかじめ印刷されており、松山や高知など主要駅へのきっぷもある。「ゆき」と「かえり」の往復きっぷや、宇和島と松山間の往復割引が適用された「Sきっぷ」もある。

○補充券
いわゆる手書きのきっぷ。今回の旅で使用したものと同じ。区間をスタンプで押して、往復や片道、乗車人数など情報をきっぷうりばで書き込んでもらう。手間がかかる作業なので、時間にゆとりをもって発券してもらおう。同じ行程なら複数人のきっぷが一枚で収まる。全国の特急や新幹線にもこれで乗れる。

○定期券・回数券
こちらも手書きで作ってくれる。学割もあるし、何より手書きで発行してくれて、ちゃんとラミネート加工も駅でしてくれる。カメラマンの坪内さんも「ほしい!」と自腹で購入。私も回数券を思わず買ってしまった。

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