2022.08.02 UP

わたし、待つわ

予土線で通学していたかれこれ20年ほど前のこと。

当時の宇和島駅はコンクリートの無骨な造りで、ネオン管のような「宇和島駅」という一文字ずつの看板が掲げられていた。駅は開放的で、近づくと改札とホームが見えた。高校時代、この駅を発着する列車を日常使いすることが愛おしかったのを記憶している。同級生との楽しいおしゃべり、憧れの先輩と交わしたちょっとした会話など今思い出してもセンチメンタルな情景ばかりが頭に浮かぶ。が、しかし。センチメンタルな情景とともに必ず思い出すことがある。「3時間まちぼうけ事件」である。後にも先にも、駅であんなにも心細い思いをしたのは初めてのことだった。

今の宇和島駅に比べ、簡素な終着駅だったのが分かる。(撮影・坪内政美)

それは、梅雨時期のこと。通常の通学であれば、私は朝7時台の列車で近永駅から宇和島駅で行き、夜7時台の列車で宇和島駅から近永駅に帰る。この日は、中間テストなるものがあって午前中にテストを受ければ、午後はフリーという時間割だった。テスト期間は1週間ほど続く。なので、同級生たちも早々と午後イチの列車に乗って自宅へ帰るのだ。当時から、通学時間以外は1両での運行を決行していた予土線は、このテスト期間中は生徒でぎゅうぎゅう詰めになるのだ。朝晩の7時台は3両編成だったことから、1両だけだとそれはもう新宿か梅田かと言わんばかりの満員状態になるのだ。私はその混雑を避けようと、テスト期間中はしばらく喫茶店で時間を潰し、夕方の便に乗ることに決めていた。夕方の便も1両なのだが、学生は極めて少なかったことからいつもと違った乗客を見かけるとなんだか非日常を感じられるのが好きだった。お気に入りの喫茶店は「ジャワ」。狭い急な階段をトントンと上っていくと、カレーとコーヒーの香りが漂う【ザ・昭和の喫茶店】という雰囲気が大好きだった。ここへ来るのはテスト期間中のみのお楽しみで、サフランライスの黄色と濃厚なカレーはとっておきの自分へのご褒美。勉強漬けの日々にあって至福のひとときであった。月にわずかしかもらえない小遣いもこのときのためにとっておいたようなものだ。ええい、全部使い果たしてしまえ!

 

カレーを味わい、コーヒーまで飲んでいると外が一気に曇り始めた。夏間近の激しい雨は、あまりに急で、喫茶店から駅までのわずかな距離だったが、自転車ごとずぶ濡れになってしまった。制服も鞄もびしゃんこである。雷まで鳴っているではないか。

駅に着くと、なんだか暗い。どうやら雨で列車が運休となったようだ。しばらく待てば雨もやむだろうし、1時間後の列車は動くだろうと考えていたが、夕方にしてはあまりに暗く人影がないため、駅員さんに尋ねた。「次の汽車は動きますか」「きょうはこのまま雨が降るみたいやけんね、運休かもしれん」とこうである。まずい・・明日もテストなのに、このまま駅で待っていてはいつ帰れるかわからない。よおし、うちに電話だ。

ポケットを探ると、奇跡の10円が見つかった。おお、神様!!これで私は母を呼ぼう。「あ、もしもしお母さん。あのね、汽車が雨で止まっとるんよ。バス代も持ってないけんね、迎えに来てほしいんやけど、来れる?」すると母は、「オッケー!オッケー!すぐ行くわ。駅におりさいや」と軽快な返事である。駅にはあいにくベンチがなかった。でも母が迎えに来ることを考えたら、わずかに15分ほどであろうか、立って待っていてもたいしたことはない。

15分の間に、雨はますます強くなり、駅前のバス停に乗り込んで行く人を何度も見送った。カレーだけにしとけば、バス代は残ってたなとふと思ったものの、大丈夫、もうすぐお母さんが迎えに来てくれるわ。

なつかしい公衆電話! (撮影・坪内政美)

待てど暮らせど、母は来ない。かれこれ2~3時間はたっただろうか。もうすっかり夜の帳は下りている。ヘッドライトをつけた車がなんとなくせわしそうに道路に水しぶきを上げながら走り抜けていく。どうした、何かあったのか、途中で事故にでも遭ったのか。もう一度かけようにも、ポケットには大銭どころか小銭すら1円もない。ああ、なんとしたことか無情に時だけが過ぎていく。さっき食べたカレーとコーヒーがもたらしてくれた幸福が薄らいでゆく。寒い。雨に濡れた制服は体にまとわりつくし、雨のせいで気分まで落ち込んできた。

と、そこへ1台のスクーターがやってきた。

「あれ、あんた。何しよん?」

聞き慣れたその声は、祖母であった。駅の近くに住む祖母は、雨の中商売の配達の途中だったようだ。(参考:「いとしのファンキーばあちゃん」)

「ばあちゃんこそ、雨の中配達しよんかな。はよ帰りさいや」と声をかけたものの、ばあちゃんちまで歩いていくことも考えた。でも傘もないしなー、お母さんは「駅におりさい」ゆうてたしなー。そうだ、ばあちゃんにもう一回うちに電話してもらおう。

「ばあちゃん、お願いがあるんやけど、ばあちゃんうちに帰ったら、お母さんに電話してくれん?あやこが迎えに来てって一回電話したんやけど、まだ来んのよ。まだ家におるかもしれんけんたのまい」と催促の電話を懇願した。

「よっしゃ、わかった」と颯爽とスクーターを飛ばして、ばあちゃんはうちに帰って行った。

それから30分ほど待ったころ、母はやってきた。駅にはもうだれもいなくなっていた。暗い駅の構内には駅員すらいない。すると開口一番、「あーごめんごめん、忘れとった。ばあちゃんが電話してきて思い出したわ」とへらへら笑っているではないか。

この母親よ、祖母が私を見つけていなければ思い出すこともなかったのか。のんきなもんである。どうせ、毎日のように見ている2時間サスペンスに夢中になっていたのだろう。有名な温泉観光地で起きた殺人事件の犯人がわかるまで、母はさぞ熱心にテレビを見入っていただろう。その間、どんよりとした雲に覆われた空からじゃんじゃん降る雨に私がどんなに不安になったか、きっと母はわかっていない。帰りの車の中でどんな話をしたかは忘れたが、母はけろっとしている。最近になって試しにこの話をしてみたことがある。

「高校生の時、宇和島駅で私のこと3時間待たせたの、覚えとる?」

「え?そんなことあったっけ??」とこうである。

後にも先にも3時間も待ちぼうけしたのは、このときだけである。

『親の心子知らず』とはいうが、『子心親知らず』ともいえるのではないか。弁当に箸を入れ忘れるだけにとどまらず、母はのんきだ。しかし、その性格ゆえか私は母に怒られた記憶がない。世間では、口うるさい母親というのが定着しているかもしれないが、うちの母が口うるさいことは全くない。かといってこののんきすぎるエピソードも果たして書いて良かったものか。きっと「別にいいんじゃない」とあっけらかーんと言うに決まっているが。

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