2022.12.09 UP

いざ、西条へ。鉄道開業150年だ!

ことしは、新橋-横浜間に鉄道が開業して150年という。これからあと50年生きていたとしたら四国新幹線も見届けることができるのだろうかとふと頭をよぎる。歴史と未来への思いが交錯する節目の年だ。

ともあれ、四国新幹線という素敵な響きはおいといて、予土線の新幹線こと「鉄道ホビートレイン」は、きょうも元気に走っている。あのかわいらしいおもちゃのようなたたずまいは、まさに予土線のアイドル的存在である。車両は、キハ32-5。1987年製というからかれこれ現役35年といったところ。鉄道の歴史からすれば、まだまだ若輩者である。乗車率が低い低いと言われている予土線にあって、この“なんちゃって新幹線”は全国の鉄道ファンが目指してやってくる観光の目的になっているのか、この車両に限っては乗車率90%を目撃することも多々ある。江川崎駅発の午後8時台の最終列車は、この車両なので、江川崎あたりで飲み会をしたら、「新幹線で帰る」なんておちゃめなことも言えるのである。

予土線のランドマーク的存在「鉄道ホビートレイン」 (撮影・坪内政美)

この初代新幹線「0系」を模した「鉄道ホビートレイン」は、東海道新幹線の開業を実現した第4代国鉄総裁の十河信二へのオマージュで誕生した。十河の偉業は、日本の鉄道の歴史において革命的だ。世界においても「SHINKANSEN」と呼ばれるほどだ。「鉄道ホビートレイン」の車内には、0系車両で使っていた本物の座席も設置しているし、料金掲示には「熱海」とか「小田原」とか東海道新幹線の駅名が書かれている。しかも、警笛は本物の0系と同じ。どこかあたたかみのあるあの音である。

十河の人物像もさることながら、西条市には本物の0系が展示している。いざ、西条市へ。宇和島から特急宇和海、特急いしづちを乗り継いで行くこと2時間50分。伊予西条駅から歩いて1分の「四国鉄道文化館」へ向かった。

入館するとどどーんと「0系」!!お出迎えありがとう!!横に並んでいるのは、ディーゼル機関車DF50。いやはや、どちらも愛くるしい。私は、個人的に0系新幹線のデザインが好きでたまらない。横から見ても正面から見ても、見事なフォルムである。ちょっとぼやけた白地にマットな青いラインなんて秀逸である。車両が変わっても東海道新幹線はこのカラーでいてくれることが実にいい。この配色に至るには、たまたま机の上にあった「ハイライト」のタバコの箱から思いついたという説もあるが、よくぞこの色に決めてくれた!と激しく賛辞を送りたい。

私が初めて新幹線に乗ったのは17歳の夏のこと。高校生だった私は、1人旅をしようと宇和島から岡山まで(当時は直通だった)「しおかぜ」に飛び乗り、岡山から新幹線に乗り換えて新大阪まで叔母を訪ねた。そのあと、新大阪から小田原へ。箱根の親せきを訪ねたのを覚えている。新幹線の車内に足を踏み入れた瞬間、もうそこは異空間だった。ビジネスマンも多く、外国人もいた。どこか知らない場所へ連れて行ってくれるという特別感に心がわくわくした。停車する旅に乗り込んでくる人を見ると、それはそれは国際色豊かで、外国人に英語で話しかけられてどぎまぎしたり。ヒュンヒュンと音を立てて、どんどん町を飛び越えていく。あっという間に移動できちゃう新幹線にただただ興奮していたなと感傷に浸ってしまう。文化館に展示している0系の車内に入ってみると、そのときのことを思い出して一気にタイムスリップしてしまいそうだ。

東海道新幹線開業は昭和39年10月1日。東京オリンピック開催のわずか9日前。鉄道業界に一石どころか巨大な隕石を投じた十河の信念は時代そのもののエネルギーすら感じる。
巨額を投じる新幹線建設には大きな反発もあった。それでも実現へと導いた十河の思いを知る書が展示されていた。新幹線計画が始まり、工事まっただ中の昭和33年の書だという。

【千里比隣万民楽和】。
「『遠くに離れた村々があっても、交通の便が良くなればすべての民が楽しく和やかに暮せる』。まさしく新幹線の工事が始まって完成を夢見て邁進する十河さんの心境が非常によく表れている」と加藤圭哉館長が話してくれた。隣接する十河信二記念館には、当時の写真が並んでいる。「夢の超特急」と呼ばれた新幹線の誕生に深く関わった十河の様子がわかる。何度も繰り返された試運転の車両に乗り込んだ十河の笑みは、鉄道の歴史において新時代の幕開けそのものだ。開発に携わった技術者や十河の夢を叶えた人々の数たるや、上げればきりがないだろう。白いボディにそっと手をやると、その鉄の塊からはなんとも知れぬぬくもりさえ感じる。

伊予西条駅すぐ横に隣接する四国鉄道文化館(撮影・坪内政美)

新幹線とともに、ときめくのは蒸気機関車である。蒸気機関車こそ、鉄道の歴史を語る上で欠かせないとはいえ、四国では早々にその姿を消している。山口線や磐越西線、釧網本線などで走る現役の蒸気機関車にどんなに心がときめくことか。シュウシュウと蒸気を上げて走る。石炭をくべる鉄道マンと息を合わせているかのように進むようすは、まるで生き物のような錯覚さえ覚える。真っ黒なボディもまたかっこいい。

西条は「水の都」だ。石鎚山系のふもとにあり、地下水脈がある。その水は「うちぬき」と呼ばれ、人々の暮らしのみならず、蒸気機関車にとってもありがたいものだった。伊予西条駅の構内に残るレンガ造りの給水塔は、今も現役だという。改装前の伊予西条駅のホームにも、うちぬきがあったことを覚えている。

かつて伊予西条駅ホームでもうちぬき水は湧きでていた。 (撮影・坪内政美)

文化館の前にある観光案内所にもうちぬきがある。一口飲んでみた。おいしい。西日本最高峰の石鎚山からの恵みは、鉄道も人も潤していたのだ。うちぬきは、市内のあちらこちらにあり、驚くほど人々の暮らしに寄り添っている。「この音は子守歌のようなもの」と話す地元の人もいるほど、絶えず水が湧いているのだ。文化館に展示している「C57-44」は、残念ながら四国を走っていた車両ではないものの、北海道からやってきて国鉄で最後まで活躍した名車両だという。西条の水で走ることはかなわなかったが、文化館では鉄道に親しんでもらおうと、ときどき子どもたちに掃除をしてもらっているという。西条の水で磨かれたのか、表面こそつやつやと黒光りしているではないか。全国に残る蒸気機関車の中でも、なんとも穏やかな隠居処であることがわかる。

150年の歴史を深掘りするには、まだまだ浅い旅だったものの、西条にはその片鱗を味わうにたる収穫があった。鉄道にはいろいろな時代背景やドラマがあり、それらはやはり人の暮らしにこれからも寄り添い続けていく。コロナ禍で利用者が激減し、鉄道会社も苦労が絶えない今をなんとか乗り切ってほしい。これからの50年、100年、150年あとには新幹線とはまた違う「夢の鉄道」が誕生するかもしれないじゃないか。

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