- 2023.11.01 UP
ツガニの季節がやってきた
夏から秋にかけて、予土線沿線の旬はいとまがない。お盆を過ぎれば、青田は黄金色に染まり、新米の季節となる。四万十川の支流、広見川や三間川でもアユやウナギが捕れる。
しかし、なんといっても私がこよなく愛する甲殻類の王様は、“ツガニ”なのである。ツガニといっても、正式にはモクズガニという。いわゆる上海ガニの仲間なのでとにかく食べて美味しいカニなのだ。大きいものでは30センチくらいあるが、オスはもじゃもじゃした藻のような毛がついた大きなはさみを持っていて見た目もすごくかっこいい。もちろん、はさみの中の身も旨い。メスがまた絶品で、いわゆるかにみそのうまみたるや!このカニを食べるためなら、漁にだってついて行くわ!!と毎年、カニ漁をのぞきにいくのである。
予土線沿線を寄り添うに走る川は三間川から広見川へそして四万十川へと合流する(撮影・坪内政美)
ちょうど出目駅の近くを流れるのが三間川である。夏の終わり、9月中旬のある日、漁師の髙田光一さん(72歳)を訪ねた。かれこれ10年近く、ツガニをいただいている仲だ。髙田さんは、【鬼北慕情】という地元愛あふれる曲をCD化しているほど、カラオケの名手でもある。美声もさることながら、髙田さんの川漁師としての腕前は筋金入りである。「7歳くらいから、この川でカニとりよるもんね。キャリアがちがわいね」と自信満々なのだ。
漁は、70センチほどの大きさの「じんど」と呼ばれる四角いかごを使う。真ん中には、カニのえさとなる魚を入れるのだが、その魚のにおいにおびき寄せられたカニが入ると出られない仕組みになっている。「魚はなんでもいいのよ、今回はトビウオを入れたけどね、ハマチのあらでも、イワシの頭でもなんでもいい。光る魚がいいみたいよ」という。
2日前に仕掛けたじんどを水から引き上げてみた。「おっほっほ。おるおる」と笑顔の髙田さん。かごの中にはうじゃうじゃといるではないか。かごを仕掛けるのはカニの通り道だというが、この川幅においてどこにカニが通るのかを見極めているのが髙田さんのすごいところである。やみくもに仕掛けているのではない、長年の経験と勘があってこそなのだ。
捕獲してもすぐには食べない。しばらくかぼちゃを食べさせるという。
じんどから保管用のかごにいれるのだが、すぐは食べないという。「この中でしばらくカボチャを食わせるのよ。そしたら、みそが黄色くなるし、くさみもないなる」そうだ。ほほう、より美味しく味わえるのならば、ぜひ待とう。4日ほど待って、再び髙田さんを訪ねると米袋いっぱい分けてくれた。袋の中でわしゃわしゃと元気に動き回っている。ありがとう、髙田さん。さっそくいただきます!!
いそいそと実家に持ち帰り、さあゆでるか!と思っていたが、鍋がない。母に鍋を探してほしいと頼み込み、玄関で米袋を抱えていたら、おいっことめいっこがやってきた。「わあ、なにそれーカニ!!生きとる!!」と大興奮。そうなのだ、ツガニは生きたまま持ち帰らねば意味がない。美味しくいただくには、この米袋をすぐにでも開けて見せてあげたいけれど、しばし待たれよ。また、カニにはジストマ菌がついていることから、必ず加熱するまで油断してはいけないのである。
母が鍋を持ってきた。「これに入るやろか」「いやいや、米袋いっぱいくれたんよ、鍋1個じゃたらんわ」とやりとりをしながら2つめの鍋を探してもらう。よし、とりあえず半分ゆでよう。ツガニは水からゆでる。いきなりお湯に放りこむと、脚がもげてしまうからだ。鍋に水を入れ、そこにツガニを入れる。素早く蓋をして、そして鍋に火をかける。カニにしたら地獄のような瞬間である。ジタバタ暴れるカニが飛び出ないよう蓋をしっかり押さえておく。釜ゆでの刑そのものだ。しばらくすると、湯が沸き、ツガニたちは静かになる。お亡くなりになったのである。貴重な命を私たちはいただいているのだと合掌。もう一つの鍋は、母に任せることにした。
無事1つめの鍋でカニを湯がき、ほっと安堵していたのもつかの間。めいっこがなにやら叫んでいる。「鍋からカニが逃げたー、きゃはは」と。いやいや、笑い事ではない。2つめの鍋を任していたのがいけない。母は、鍋に水とカニを入れたはいいものの、火をかけたその後、蓋を押さえていなかったのである。生きる意志の強いやつは、蓋なぞ押し上げて次々と鍋の外へ出て行く。台所を飛び出し、ものすごい勢いで家の中をツガニが逃げ回っているのではないか。これには父も大騒ぎ。「ジストマ菌が、ジストマ菌が」と何度も連呼し、カニを追いかけ回している。手には火ばさみを持ち、ものすごい剣幕でカニを追う。めいっこが「じいじ、ここにおるよー戸棚の裏-」と楽しそうにカニを見つけている。見つけたかには、父が見事に火ばさみで挟み、鍋に入れる。私は懸命に鍋の蓋を押さえているので、カニを追うのは父とめいの任務である。一体何匹のカニが逃げ出したか、だれ一人知るよしもない。母は蓋を押さえていなかったことに何のうしろめたさもなく、カニに翻弄される私たちを見て笑っている。わーわーキャーキャー言いながら、おそらく逃げたカニすべてを捕まえて、鍋に戻した。
茹でると真っ赤に。これはうまそうだ。
さっきまで元気に動き回っていたカニたちはすべて天に召された。流水で一匹ずつ丁寧に汚れをとっていく。ゆでたカニは、真っ赤に色づき、もうすっかり「生き物」ではなく「食材」に変化している。いよいよ味付けに入る。酒、しょうゆ、みりん、砂糖。和食の4重奏である。目分量で入れたら、味見をしながら足りないものを足すだけだ。夕方から始めた調理からまもなく2時間。もうそろそろ食べ時だ。
熱いままではカニをばらすことができない。とりあえず、カニをゆでた汁を味わう。う、う、美味い。世の中にこれほど濃厚で美味い汁があるのだろうか。カニから出たうまみの成分なのか。この汁をほかほかご飯にかけてかきこみたい。そもそも鬼北地区では、この汁で里芋を煮込む。秋の風物詩「いもたき」にかかせないのがこのツガニの汁なのだ。待つこと1時間。すっかり冷めたカニを取り出して食べる。まずは、甲羅の部分を取り、ミソをいただく。うまい。脚の付け根をちゅうちゅう吸って、殻を割って身をいただく。うまい。うまい。
父はどうやらこの手間がかかるカニはお気に召さないようで、母とめいと3人で黙々と食べた。この年に一度のツガニとのひとときは至福の時である。食べ始めたら食べ終わるまでスマホは一度も見ない。ただひたすらにツガニに向き合う。なんという一途な、かつ贅沢なことか。簡単にどこでも食べられるものではないが、予土線沿線のニッチなグルメとして、愛すべき旬の味なのである。