2019.07.31 UP

「新幹線に夢を乗せた男たち(後編)」

前日に伊予西条に到着。まずは十河信二さんの銅像にごあいさつ。

現役時の制服を装着。「当時とほとんどサイズが変わらない」とお2人。

文化館に展示の新幹線に乗車!当時を思い出していただきました。(撮影・坪内政美)

東海道新幹線1番列車ひかりの運転士、大石和太郎さんと関亀夫さん。ことし3月に西条市の四国鉄道文化館で開かれるトークショーのため、愛媛にお越しくださった。ことしは東海道新幹線の開業から55年ということで、ちょうど文化館では「大新幹線展」と題した展示会が開かれていた。初代新幹線こと「0系電車」の登場当時の社会現象を象徴するかのようなおもちゃの数々、0系をデザインしたマッチ箱やたばこ紙、0系電車の走行音のレコードまで並んでいた。これらを収集した「どつぼさん」こと鉄道カメラマンの坪内政美さんがトークショーのMCを務めた。どつぼさんも興奮気味で、新幹線開業当日の話をお二人から聞き出すのだが、その内容はコラムに前述したとおり(前編参照)で、運転席で経験した歴史的な一番列車の新大阪から東京までのドラマチックな話が展開し、会場は大いに盛り上がった。トークショーで話をする大石さんと関さんは、まるでそれが55年前の出来事ではなく、ついこの間のことを話しているかのような、若々しい青年の表情そのものだった。

1時間30分にわたるトークショーはあっという間。(撮影・山下文子)

55年前はなんと花束が菊だった!衝撃的な写真と。(撮影・坪内政美)

その日、お二人はせっかく愛媛に来たのだから観光しようじゃないか、とトークショーを終え、勢いもそのままに松山市の道後へ向かった。僭越ながら愛媛在住のわたしが引率を。大石さん、関さん、コーディネーターの勝又祐介さんとともに、さあ、まずは道後温泉、宇和島鯛飯、そして蛇口からみかんジュースを体験していただいた。へっぽこな私だけではご案内が不安だったので旅のプロ、どつぼさんも同行してもらったのだが、もちろんそうなれば愛媛の最重要「鉄」スポット、「ダイヤモンドクロス」は外せないのである。この「ダイヤモンドクロス」とは、伊予鉄道の市内電車と郊外電車の線路がちょうど十字に重なる場所をいい、ちょうど大手町駅で見ることができる。国道の真ん中を走る路面電車がその場所で信号待ちのため一時停止していると、その電車の前方を郊外電車がガタンガタンと通り過ぎていくのだ。まるで、電車が「どうぞお先に~」と待ちぼうけしているような、かわいらしくもあり、微笑ましい鉄道風景。全国的も線路が直角に交差するという珍しい場所だということで、多くの鉄道ファンが訪れる人気スポットなのだ。どつぼさんは大手町駅に行くのにも、わざわざ市内電車のダイヤを調べて、1950年代に登場した古参電車「モハ50形」に乗車して、古き良き昭和の車両の持つ揺れや音を体感できる味わい深い旅をしかけてきた。大石さんも関さんも楽しそうに乗り込んだが、大石さんについては乗り込むやいなや、すぐさま運転席のそばへすくっと立ち、前面展望をにこにこしながら眺め始めた。「この揺れがいいね~」「この押しボタンもいいよ~」「やっぱり木の床はいいね~」なんてはしゃいでいるのだ。一方、関さんは、ゆったりと腰を下ろして景色を静かに眺めて観光を楽しんでいるものの、はしゃぐ大石さんを見てはにやにやしている。「まるで子どもだよ」なんて言って。どつぼさんも大石さんの隣に立って解説しているものの、油断すると大石さんってば「これポイントの切り替えとかどうなってんの~」なんて、ワンマン列車の運転士さんに直接話しかけたりしちゃって。いやあ、好奇心というのは、日常をどんなにか楽しくさせるものかとわたしはわくわくしてそのようすを楽しんでいた。

そして、そのまま大手町駅が近づき、いよいよダイヤモンドクロス。どつぼさんが「今!ここです!!」と合図をすると、ガタンガタンと全員が五感を研ぎ澄ます。「おお~」なんて歓声まで上げちゃって。ついに念願のダイヤモンドクロスを通過した。すると大石さんは、「外からも見たい!!」と大手町駅の次の駅で下車してそのまま折り返し、再び大手町駅へ行き、ダイヤモンドクロスが見える電停の小さなホームで待機することに。ほどなく郊外電車の踏切が降りてきて、市内電車がやってくる。大石さんは、前のめりの体勢で目を見開いてその光景をしっかりと目に焼き付けている。するとわたしの方へ振り返って、「いいねえ~~あの音。わくわくしちゃってちびっちゃいそうだよ~」と満面の笑みである。まるで少年のような喜びように、関さんもつい「あはは~これだもんな~あんたを見てる方がおもしろいよ」と大きな口を開けて笑っている。この明るいお二人の姿は、開業運転士をやり遂げた大きな器の持ち主であることを感じさせるもので、その豪快さにわたしまでわっはっはと大きな声で笑ってしまった。どつぼさんは、そんなわたしたちのようすをちゃっかり郊外電車のホームからカメラに収めていたのは、言うまでもない。

道後温泉から路面電車に乗車。車内でも落ち着きません。

ここがダイヤモンドクロス。ちょうど坊ちゃん列車が…

目の前で見るダイヤモンドクロスにご満悦の様子 (撮影・坪内政美)

そのあと、市内電車を乗り継いで道後温泉駅まで向かうのだが、次にどつぼさんが選んだ車両は最新のLRT車両「モハ5000形」。新旧さまざまな時代の車両が運用されている松山の市内電車ならではの醍醐味である。低床車両で、ガタンとも揺れない最新車両に乗ると大石さんも関さんもそろって「こりゃあ静かだ。快適だね~これもまたいいじゃないの~」とのこと。お二人がときめくのは古い車両だけではないのだ。なんて柔軟な発想!!こだわりも寛容も併せ持つお二人は、道後温泉本館が修理中だったことも「いやあ、こりゃ貴重なタイミングだね」と、前向きなのだ。案内するわたしたちの方が楽しくていっぱいの元気をもらった。

そして、どつぼさん一押しの昭和58年まで使われていたという元郵便車「キユ25形」をレストランにしている洋食屋「でんぷん」で、もりもりステーキランチを食べ、大石さん、関さん、勝又さんの3人とは、ここでお別れ。固い握手を交わして、笑顔で見送った。名残惜しく、また必ずご一緒したいと強く思った。3人は福山駅から新幹線ということで、四国への行き来はレンタカーだったのだが、ハンドルを握っていたコーディネーターの勝又さんによると、しまなみ海道だけは大石さんが運転席を譲らなかったという。さすが一番列車を運転した方だなと頷ける。しまなみ海道の絶景も、きっと見るたびに表情を変え、運転席からは未知の世界が広がっていたのだろう。そう、運転席はいつだってドラマチックで、夢であふれているのだ。どんなときでも、そのとき一番先頭で一番最初に見える景色だからこそ、運転士の目に焼き付いて忘れられない景色に違いないのだ。

次、お二人が四国に来られたときは、ぜひ予土線の「0系新幹線」こと「鉄道ホビートレイン」に乗ってもらおうと思っている。予土線の新幹線からの眺めもまた、予想外のきっとまた、こんなふうにワクワクドキドキ楽しんでもらえるに違いない。

坊ちゃん列車と記念撮影。今度は予土線に行きましょう。(撮影・坪内政美)

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