- 2020.10.05 UP
さらば、朝のうどん~やまこうどん閉店を惜しむ
出汁のきいたやわらかいうどん。一度食べたら病みつきに!(撮影・坪内政美)
予土線が乗り入れる宇和島駅から歩いて5分ほど。川沿いにある小さなうどん屋さんの話。そのうどん屋さんは、「やまこうどん」と呼ばれている。看板もなければ、のれんもない。まだあたりが薄暗い朝5時に開店し、窓から漂うだしの香りがなければ、通り過ぎてしまいそうなほど目立たないたたずまいだ。営業時間も9時までと朝の数時間だけしか開いておらず、知る人ぞ知るうどん屋さんなのである。朝が早い鉄道員らにとっても御用達のようで、駅で聞けばJRの駅員さんはよく知っていて、中には長年の常連さんもいるようだ。
看板もない一見、民家かと思うここが実は「やまこうどん」だった。(撮影・坪内政美)
午前5時。灯りのともった店からは、もくもくと湯気が立ち込めている。店では、昔ながらのかまどで薪がくべられていて、そこでうどんのだしができあがっている。店を切り盛りしているおかみさんは2代目の店主で、島内純代さん(69歳)。2つ上の姉むつ子さんと一緒に毎朝3時に起きて準備している。朝の名物うどんとして、半世紀以上続いてきたこの店は、なんとことし(2020年)7月で閉店となる。私は、祖父母の家がこの店の近所だったこともあり、子どものときに食べたというぼんやりした記憶はあっても、さほど通い詰めているというわけでもなかった。しかし人の心とは現金なもので閉店を知ってからというもの、わたしは無性にこのうどんが懐かしくなり、実際何度も足を運んだ。
ほとんどが常連客だ。店に入ると「おはよう、いらっしゃい」と元気な純代さんの声。「なんぼしようか」と注文を聞く。注文といってもうどんの量を聞くだけだ。メニューはうどん1種類のみ。1玉で380円、2玉で480円。じゃこ天とかまぼことネギ、そして地えびのかき揚げがのっかっている。店内はテーブルが2つとカウンターがあるだけで、10人ほどで席は埋まってしまう。客は入れ替わりたち替わり、時には顔見知りだったりして他愛のない会話を一言二言交わしている。純代さんとむつ子さんは、せわしなく店の中を動き回り、うどんをゆで、ネギを刻み、かき揚げを作り、その合間にどんぶりを洗っている。純代さんたちは手を動かしながらも、お客さんと目を合わせたらほんの少しだけ世間話をする。そして、うどんを食べ終わった客は「ごちそうさん」と言って立ち上がり、純代さんは「はい、ありがとう」とお代をもらう。それだけのやりとりで店はなんだか温かい雰囲気に包まれている。毎朝来る常連の客も、ふらりと立ち寄った一見客も、純代さんたちは分け隔てなく接してくれるのだ。その温かさが居心地の良さとなっているのだと感じた。
器はすべて砥部焼。だしが冷めにくく、食べきるまでうどんはあつあつ(撮影・坪内政美)
「やまこうどん」は、戦後間もない昭和29年に純代さんらの母親、山子一三さんが始めた。
「母親が内職で始めたのがきっかけ。昔は七輪でかき揚げを作りよったんよ。出前にも行きよったしな」と純代さんが当時のことを話してくれた。純代さんは、母親の仕事を当たり前のように手伝いながら、そのまま店をき引き継ぎ、66年間変わらない味を守り続けてきた。「うどんのだしは、昆布と花かつお。あとはうちのマル秘を入れて、醤油。母親の代からのお客さんがいまだにこの味を求めてやってきてくれるんよ。このかまどやないと同じ味にならんの」と純代さんは、創業以来使い続けてきたかまどを見つめた。閉店の理由の一つは、このかまどの老朽化が大きい。昔ながらのかまどには、羽釜が3つ置かれている。1か所で火を焚くと、その炎が横に広がり、すべての羽釜が温まる。うどんをゆでる釜、だしを温めておく釜、昆布とかつおを煮出してだしを作っている釜。同時に3つの仕事ができる釜こそ、店の一番の働き手なのだという。「もう中はぼろぼろなんよ、このかまどもようがんばってくれた。勇気がいったけど、閉店することに決めたんよ」。透き通ったうどんのだしは、たしかに昆布とかつおのうまみがこれでもかというほどに濃厚で、汁を最後の1滴までぺろりと飲み干せてしまうのは、このうまみに他ならない。さらに、一枚一枚店で揚げている地えびのかき揚げはもちっとした食感があり、だしを吸ったその衣はなんとも絶品なのだ。
昔ながらの釜を使い、慌ただしくうどんをゆでていた。(撮影・坪内政美)
客が一番多いという土曜日。店は6時半ごろに忙しくなり始める。カウンターの向こうの調理場では、体の大きな男性客が一人うどんをゆでている。「おばちゃんら忙しいけんな、ゆでるくらいはしようかと」と慣れた手つきで湯切りまでしている。ともすれば、包丁を手にトントンと軽やかなリズムでネギを切っている男性客もいる。自分の分のネギだけでなく、ごっそり一束刻みきってほかの客の分までボウルに入れておく。聞けば、どこかの板前さんだということで、たまにふらっと来るのだそう。純代さんは、「おっとそんなことせんでええよ、あなたみたいな職人さんに高い時給は出せんから」と冗談交じりで声をかける。するとその客は「時給はいらんけん、うどんを一杯食わせてくれたらええわい」と返す。居合わせた客たちは、そのほっこりした小気味よいやりとりに、うどんをすすりながらハハハと笑顔になるのだ。調理場に客が入っても、迷惑がって追い出したりしないで、うまくやり過ごす純代さんの客裁きも見ものだ。
また、ひょっこり鍋を持った人もやってくる。うどんの持ち帰りに来た近所の人だそう。雪平鍋ひとつ持ってきて「これに入れてや」と声をかける。どんぶりによそうのと同じように、
鍋にうどんとだしを入れる。「はい、できあがり」。開店以来通っているというその客は「もう長いで、ここのうどんは。開店してからずっと来よる。やめるいうけん、さみしゅうなる」と言う。「なんでやめるんよ」「さみしいやんか」「わしの朝飯ないなるやんか、もう今更嫁に朝ごはん作ってとは言えんで」と、来る客はみな閉店を惜しむ声ばかり。その声は、朝のうどんとともに人びとの日々の暮らしに寄り添ってきたことを物語っている。残り僅かとなったこの日、「おばちゃんもうちょっとやな、がんばってや」と声をかけて出ていく客が多かった
店の壁には、一枚の色紙がある。『朝のうどん』。作家、吉村昭が書いたものだ。何度も宇和島を訪れているが、そのたびにホテルの朝食はとらず、ここへ足を運んでいたという。エッセイの中には、何度も「やまこうどん」について書かれている。よほど気に入っていたとみえ、すっかり顔なじみになっていたようだ。「店に入ってきたら、いつも同じ席に座って、静かに黙ってうどんを食べて『ごちそうさま』と言って帰る。店の中をちらちらっと見て、それだけでいろんなことを感じ取ってたんやろうね」と、ほかの客たちとなんら変わりなく、ときどきふらっとやってくる大作家のことを純代さんは懐かしそうに話してくれた。
吉村昭氏直筆の色紙が店内に飾られていた。(撮影・坪内政美)
2代目の店主・山内純代さん
おかみさんの笑顔に会えるのもやまこうどんの魅力(撮影・坪内政美)
閉店を知った90歳の祖母も「やまこうどんに行きたい」というので、連れだって何回か店を訪れた。すると純代さんは、祖母とは昔からのご近所だということもあり、「ようきてもろうたなあ」と祖母の肩を抱いて懐かしんでくれた。さらに、高齢の祖母を気遣って、お客さんもまた席を譲ってくれたり、お茶をついでくれたりと、店は小さな思いやりであふれていた。訪れる客は、みな穏やかで優しく、うどんもさることながら、まるで純代さんたちを慕って、店のぬくもりを味わいにやってきているようだった。朝のそのひとときの記憶は、きっと思い出すたびに恋しくなってしまうにちがいない。純代さんは「いいお客さんに恵まれたことがここまで長くやってこられた力よ」とにかっと笑って、またせわしなく店を動き回っていた。